闘茶!tea-fight!古典茶楽之一
2008年 07月 10日
古典茶楽之一!
お茶の快楽として、
いろいろな楽しみ方があります。
今週に「闘茶」と言う映画が上演する予定です、
その映画は「闘茶」という。
「闘茶」と言う遊びですが、
歴史がとても古いです。
隋唐時代から、飲茶の風習が中国全国に広がいました。
お茶を使っていろいろな遊び方法が出てきました。
「闘茶」のあそびその中の一つ遊び方法です。
唐代から「「闘銘」、「銘戦」とも言います。
唐代の「梅妃傳」による、
唐開元(738)年間、皇帝の李玄宗は梅妃と
「闘茶」する遊び記録が残っています。
原文記録は下記:
「此梅精也。吹白玉笛,
作《惊鸿》舞,一座光辉,斗茶今又胜我矣。」
意味は
皇帝李玄宗が
梅妃と「戦茶」を遊びして、
皇帝が負けてしまって、
梅妃のことを責める詩で言い出した。
意味は梅妃がフルートを吹きながら、
踊るにもして、とても輝いた、
またお茶の「闘茶」遊びにも皇帝に勝ちました。
しかし、頭が良い梅妃は皇帝の
気持ちが洞察して、
下記答えだした。
「草木之战,误胜陛下,
设使调和四海,烹饮鼎鼐,
万乘自有宪法,贱妾何能较胜负也。」
意味;
皇帝様はお茶の遊び
ゲームの勝負結果が
あまり気にしないでください、
私がたまに運が良くて勝ちました。
皇帝が天下を統一、
皇帝の知恵で天下に賢明な管理していることが、
私が皇帝と比べない、とても低いレベルです。
というと「闘茶」美談を残っています。
そう、本題に戻ります。
唐代の
「闘茶」
は宋代になってますます、流行りだして、
本当に上階層から民間まで広がりました。
その時代の
「闘茶」ですが、主要な遊び方は三つ方面
からゲームになっています。
一:闘茶
二:闘水
三:闘器
一:闘茶は
茶がとても重要で、
お茶の摘み、製造などとても厳しく、
一番良いお茶を使うことで、
宋代の餅茶が主流しているから、
その時期の要求:
饼茶要求“色莹澈而不驳,
质缜绎而不浮,举之凝结,
碾之则铿然,可验其为精品也。”
二:闘水
水がお茶の味を引き出す重要役している、
その時代は湧き水などよく使っている、
水は産地によって、お茶と合うなら、
お茶の味が良くできます。
合わないなら負けるに成る大きな原因になります。
三:闘器
器がお茶を入れる容器ですから、
お茶の色を引き出す為に、
とても工夫して作っています。
宋代は
茶湯が白いもの
貴重になっています。
だからその時代の器は
天目茶碗、
兔毫盏など主流です。
下記写真は建窑兔毫盏と
油滴天目茶碗です。


宋代茶具図讃 (二)
2006年 11月 18日
きっとつまらないと思います人もいます、
でもこれはよく見て、
日本にどこに見かけた、
どこに紹介していました。
少し日本抹茶や煎茶に繋がる想像できればそれは私がうれしいです。

竺副帅

漆雕秘阁

宗从事

石转运
宋代茶具図讃
2006年 11月 07日
先生ですから、
その先生の顔を紹介します。
宋代の飲茶文化の臨みを楽しんでください。
今日はその四つを写真公開します。
こんなものをしていますか?

韦鸿胪

金法曹

胡员外

司职方
中国茶歴史と日本茶歴史
2006年 03月 10日

日本茶歴史
8世紀 遣唐使が日本に茶を伝える
9世紀 貴族を中心に喫茶が広まるがやがて遣唐使の廃止してから、お茶の風習が少し弱いなりました。
12世紀 鎌倉初期、栄西が当時の中国南宋から1191年に茶種を持ち帰り九州の背振山に植えた話をあります。
臨済宗栄西が日本に喫茶法を伝えました。
著書:喫茶養生記
栄西は1212年日本初の茶書が《喫茶養生記》を著した。「茶は末代養生の仙薬。人倫の妙術なり・・」に始まり栄西の哲学として宇宙を5部に分け、それと同様人体も肝・心・肺・脾・腎の5臓に分かれ、味も酸・苦・辛・甘・かんの5味に分けられる。茶は苦くそれは5臓の中心となる心臓の良薬になると喫茶の原理を著した本です。全て漢字で書かれています。
14世紀 闘茶流行
闘茶と共にお茶が広まる
産地・良い否を当てる賭けがよく盛んに行われ、高価な賭物でやりとりすぎで、
政府から禁止しているが、室町時代前期までに続きました。
15世紀~16世紀 茶の湯の確立創始者は村田珠林(じゅこう)をわび湯をつくました。
喫茶に禅の精神を融合、4畳半の茶室で茶をたしなみ、風雅の境地に遊ぶ喫茶法
継承者 武野じょうおう
茶禅一味の皮肉
大成者千利休は豊臣秀吉の寵愛を受け天下第一の茶匠と呼ばれことで、茶の本性なくなりました。豪奢茶器だけとりあげっている。
17世紀~18世紀 茶道の完成、儒教思想でお茶の湯まで取り込みました。茶道はますます流行りました。
中国茶歴史は詳しくこちらです。

中国茶道と普通の淹れ方
2006年 03月 02日

茶を中国から世界に広がりまして、茶道も中国から開始しています。
茶道は漢代に始まり、唐代に流行して、宋代と明代に最上の茶道を完成しています、近代に(アンヘイ戦争以後)廃止ぐらいなってしまった。中国茶道は日本・韓国など伝えていました。中国茶道は他国で新しい発展してます。
中国茶道はについてこんな理解でよいでしょう。
一:中国茶道は飲茶之道でことです。
陆羽著《茶经》三卷,分一之源、二之具、三之造、四之器、五之煮、六之飲、七之事、八之出、九之略、十之图十章。四之器叙述炙茶、煮水、煎茶、飲茶など器具二十四种。"茶道"就是指陆羽《茶经》に紹介した飲茶之道。
二:中国茶道は飲茶で修道することです。
唐末劉贞亮による茶"十德"ある,"以茶散郁气,以茶驱睡气,以茶养生气,以茶除病气,以茶利礼仁,以茶表敬意,以茶尝滋味,以茶可行道,以茶可雅志。"これは飲茶で修道でことをある。
三:中国茶道は飲茶で道である、
老子による『道法自然』、道は自然であること、佛教による、有で無、無で有。それは飲茶は道であること同じ考えです。
四:中国茶道は芸・修行・道などの結晶。
中国茶の入れ方見本はくわしくこちらです。
中国茶の六種類(発酵度による)
2006年 02月 27日
中国茶は大きく分けて六つの分類で分けられますが、
これは、製造する過程での「発酵度合い」による違いで、
発酵度の低いものから緑茶、白茶、黄茶、青茶、紅茶、黒茶に分けられます。
また、ジャスミン茶などは花の香りを茶葉に添加させたもので、「花茶」として分類されます。そこで、お茶の発酵度を左右する、製造工程にちょっと触れてみます。
中国茶六種類は更に知りたい方こちら>

中国茶六種類は更に知りたい方こちら
[唐]陆羽著
2006年 02月 16日
茶者,南方之嘉木也。一尺、二尺乃至数十尺。其巴山峡川,有两人合抱者,伐而掇之。其树如瓜芦,叶如栀子,花如白蔷薇,实如栟榈,茎如丁香,根如胡桃。(瓜芦木出广州,似茶,至苦涩。栟榈,蒲葵之属,其子似茶。胡桃与茶、根皆下孕,兆至瓦砾,苗木上抽。)
其字,或从草,或从木,或草木并。(从草,当作“茶”,其字出《开元文字音义》;从木,当作“ ”,其字出《本草》;草木并,作“荼”。其字出《尔雅》。)
其名,一曰茶,二曰槚,三曰蔎,四曰茗,五曰荈。(周公云:“槚,苦茶。”杨执戟云:“蜀西南人谓荼曰蔎。”郭弘农云:“早取为茶,晚取为茗,或一曰荈耳。”)
其地,上者生烂石,中者生砾壤,下者生黄土。凡艺而不实,植而罕茂,法如各瓜,三岁可采。野者上,园者次。阳崖阴林,紫者上,绿者次;笋者上,牙者次;叶卷上,叶舒次。阴山坡谷者,不堪采掇,性凝滞,结瘕疾。
茶之为用,味至寒,为饮,最宜精行俭德之人。若热渴、凝闷,脑疼、目涩,四支烦、百节不舒,聊四五啜,与醍醐、甘露抗衡也。
采不时,造不精,杂以卉莽,饮之成疾。茶为累也,亦犹人参。上者生上党,中者生百济、新罗,下者生高丽。有生泽州、易州、幽州、檀州者,为药无效,况非此者?设服荠苨,使六疾不瘳,知人参为累,则茶累尽矣。
二之具
籝。一曰篮,一曰笼,一曰筥,以竹织之,受五升,或一斗、二斗、三斗者,茶人负以采茶也。(籝,《汉书》音盈,所谓“黄金满籝,不如一经。”颜师古云:“籝,竹器也,受四升耳。”
灶,无用突者。釜,用唇口者。
甑,或木或瓦,匪腰而泥,篮以箄之,篾以系之。始其蒸也,入乎箄;既其熟也,出乎箄。釜涸,注于甑中。(甑,不带而泥之。)又以榖木枝三亚者制之,散所蒸牙笋并叶,畏流其膏。
杵臼,一曰碓,惟恒用者佳。
规,一曰模,一曰棬,以铁制之,或圆,或方,或花。
承,一曰台,一曰砧,以石为之。不然,以槐桑木半埋地中,遣无所摇动。
檐,一曰衣,以油绢或雨衫、单服败者为之。以檐置承上,又以规置檐上,以造茶也。茶成,举而易之。
芘莉(音把离),一曰赢子,一曰篣筤。以二小竹,长三尺,躯二尺五寸,柄五寸。以篾织方眼。如圃人土罗,阔二尺,以列茶也。
棨,一曰锥刀。柄以坚木为之,用穿茶也。
扑,一曰鞭。以竹为之,穿茶以解茶也。
焙,凿地深二尺,阔二尺五寸,长一丈。上作短墙,高二尺,泥之。
贯,削竹为之,长二尺五寸,以贯茶焙之。
棚,一曰栈。以木构于焙上,编木两层,高一尺,以焙茶也。茶之半干,升下棚,全干,升上棚。
穿(音钏)。江东、淮南剖竹为之。巴川峡山纫谷皮为之。江东以一斤为上穿,半斤为中穿,,四两五两为小穿。峡中以一百二十斤为上穿,八十斤为中穿,五十斤为下穿。字旧作钗钏之“钏”字,或作贯串。今则不然,如磨、扇、弹、钻、缝五字,文以平声书之,义以去声呼之,其字以穿名之。
育,以木制之,以竹编之,以纸糊之。中有隔,上有覆,下有床,傍有门,掩一扇。中置一器,贮塘煨火,令煴煴然。江南梅雨时,焚之以火。(育者,以其藏养为名。)
三之造
凡采茶在二月、三月、四月之间。茶之笋者,生烂石沃土,长四五寸,若薇蕨始抽,凌露采焉。茶之牙者,发于丛薄之上,有三枝、四枝、五枝者,选其中枝颖拔者采焉。其日有雨不采,晴有云不采;睛,采之,蒸之,捣之,拍之,焙之,穿之,封之,茶之干矣。
茶有千万状,卤莽而言,如胡人靴者,蹙缩然(谓文也);犎牛臆 者,廉襜然;浮云出山者,轮囷然;轻飙拂水者,涵澹然。有如陶家之子,罗膏土以水澄泚之(谓澄泥也)。又如新治地者,遇暴雨流潦之所至。此皆茶之精腴。有如竹箨者,枝干坚实,艰于蒸捣,故其形离师(音译)然。有如霜荷者,茎叶凋沮,易其状貌,故厥状委萃然。此皆茶之瘠老者也。
自采至于封七经目,自胡靴至于霜荷八等。或以光黑平正言嘉者,斯鉴之下也;以皱黄坳垤言佳者,鉴之次也;若皆言嘉及皆言不嘉者,鉴之上也。何者?出膏者光,含膏者皱;宿制者则黑,日成者则黄;蒸压则平正,纵之则坳垤。此茶与草木叶一也。茶之否臧,存于口诀。
四之器
风炉(灰承)、筥、炭檛、火筴、鍑、交床、夹、纸囊、碾(拂末)、罗合、则、水方、漉水囊、瓢、竹筴、鹾簋、熟盂、碗、畚、札、涤方、滓方、巾、具列、都篮。
风炉
风炉以铜铁铸之,如古鼎形,厚三分,缘阔九分,令六分虚中,致其圬墁。凡三足,古文书二十一字。一足云:“坎上巽下离于中”;一足云:“体均五行去百疾”;一足云:“圣唐灭胡明年铸”。其三足之间,设三窗。底一窗以为通飚漏烬之所。上并古文书六字,一窗之上书“伊公”二字,一窗之上书“羹陆”二字,一窗之上书“氏茶”二字。所谓“伊公羹,陆氏茶”也。置墆()于其内,设三格;其一格有翟焉,翟者,火禽也,画一卦曰离;其一格有彪焉,彪者,风兽也,画一卦曰巽;其一格有鱼焉,鱼者,水虫也,画一卦曰坎。巽主风,离主火,坎主水,风能兴火,火能熟水,故备其三卦焉。其饰,以连葩、垂蔓、曲水、方文之类。其炉,或锻铁为之,或运泥为之。其灰承,作三足铁盘抬之。
筥
筥,以竹织之,高一尺二寸,径阔七寸。或用藤,作木楦如筥形织之。六出圆眼,其底盖若利箧口,铄之。
炭檛
炭檛,以铁六棱制之,长一尺,锐上丰中,执细头系一小()以饰檛也,若今之河陇军人木吾也。或作锤,或作斧,随其便也。
火筴
火筴,一名箸,若常用者,圆直一尺三寸,顶平截,无葱台勾()之属,以铁或熟铜制之。
鍑
鍑,以生铁为之,今人有业冶者,所谓急铁。其铁以耕刀之趄,炼而铸之。内摸土,而外摸沙。土滑于内,易其摩涤;沙涩于外,吸其炎焰。方其耳,以正令也。广其缘,以务远也。长其脐,以守中也。脐长,则沸中;沸中,则末易扬;末易扬,则其味淳也。洪州以瓷为之,莱州以石为之。瓷与石皆雅器也,性非坚实,难可持久。用银为之,至洁,但涉于侈丽。雅则雅矣,洁亦洁矣,若用之恒,而卒归于银也。
交床
交床,以十字交之,剜中令虚,以支鍑也。
夹
夹,以小青竹为之,长一尺二寸。令一寸有节,节已上剖之以炙茶也。彼竹之筱,津润于火,假其香洁以益茶味,恐非林谷间莫之致。或用精铁熟铜之类,取其久也。
纸囊
纸囊,以剡藤纸白厚者夹缝之。以贮所炙茶,使不泄其香也。
碾(拂末)
碾,以橘木为之,次以梨、桑、桐、柘为之。内圆而外方。内圆备于运行也,外方制其倾危也。内容堕而外无余。木堕,形如车轮,不辐而轴焉。长九寸,阔一寸七分。堕径三寸八分,中厚一寸,边厚半寸,轴中方而执圆。其拂末以鸟羽制之。
罗合
罗合,以合盖贮之,以则置合中。用巨竹剖而屈之,以纱绢衣之。其合以竹节为之,或屈杉以漆之,高三寸,盖一寸,底二寸,口径四寸。
则
则,以海贝、蛎蛤之属,或以铜、铁、竹、匕、策之类。则者,量也,准也,度也。凡煮水一升用末方寸匕。若好薄者,减之,嗜浓者,增之,故云则也。
水方
水方,以椆木、槐、梓等合之,其里并外缝漆之,受一斗。
漉水囊
漉水囊,若常用者,其格以生铜铸之,以备水湿,无有苔秽腥涩意。以熟铜苔秽,铁腥涩也,林栖谷隐者,或用之竹木。木与竹非持久涉远之具,故用之生铜。其囊织青竹以卷之,裁碧缣以缝之,细翠钿以缀之,又作绿油囊以贮之。圆径五寸,柄一寸五分。
瓢
瓢,一曰牺勺。剖瓠为之,或刊木为之。晋舍人杜育《荈赋》云:“酌之以匏。”匏,瓢也。口阔,径薄,柄短。永嘉中,余姚人虞洪入瀑布山采茗,遇一道士,云:“吾丹丘子,祈子他日瓯牺之余,乞相遗也。”牺,木勺也。今常用以梨木为之。
竹筴
竹筴,或以桃、柳、蒲葵木为之,或以柿心木为之。长一尺,银裹两头。
鹾簋
鹾簋,以瓷为之。圆径四寸,若合形,或瓶、或罍,贮盐花也。其揭,竹制,长四寸一分,阔九分。揭,策也。
熟盂
熟盂,以贮熟水,或瓷,或沙,受二升。
碗
碗,越州上,鼎州次,婺州次;岳州上,寿州、洪州次。或者以邢州处越州上,殊为不然。若邢瓷类银,越瓷类玉,邢不如越一也;若邢瓷类雪,则越瓷类冰,邢不如越二也;邢瓷白而茶色丹,越瓷青而茶色绿,邢不如越三也。晋杜育《荈赋》所谓:“器择陶拣,出自东瓯。”瓯,越也。瓯,越州上,口唇不卷,底卷而浅,受半升已下。越州瓷、岳瓷皆青,青则益茶。茶作白红之色。邢州瓷白,茶色红;寿州瓷黄,茶色紫;洪州瓷褐,茶色黑;悉不宜茶。
畚
畚,以白蒲卷而编之,可贮碗十枚。或用筥,其纸幅以剡纸夹缝,令方,亦十之也。
札
札,缉栟榈皮以茱萸木夹而缚之,或截竹束而管之,若巨笔形。
涤方
涤方,以贮涤洗之余,用楸木合之,制如水方,受八升。
滓方
滓方,以集诸滓,制如涤方,处五升。
巾
巾,以絁布为之,长二尺,作二枚,互用之,以洁诸器。
具列
具列,或作床,或作架,或纯木、纯竹而制之。或木或竹,黄黑可扁而漆者,长三尺,阔二尺,高六寸。具列者,悉敛诸器物,悉以陈列也。
都篮
都篮,以悉设诸器而名之。以竹篾内作三角方眼,外以双篾阔者经之,以单篾纤者缚之,递压双经,作方眼,使玲珑。高一尺五寸,底阔一尺、高二寸,长二尺四寸,阔二尺。
五之煮
凡炙茶,慎勿于风烬间炙,熛焰如钻,使炎凉不均。持以逼火,屡其翻正,候炮。出培塿,状虾蟆背,然后去火五寸。卷而舒,则本其始又炙之。若火干者,以气熟止;日干者,以柔止。
其始,若茶之至嫩者,蒸罢工热捣,叶烂而牙笋存焉。假以力者,持千钧杵亦不之烂。如漆科珠,壮士接之,不能驻其指。及就,则似无穰骨也。炙也,则其节若倪倪如婴儿之臂耳。既而承热用纸事囊贮之,精华之气无所散越,候寒末之。(末之上者,其屑如细米。末之下者,其屑如菱角。)
其火用炭,次用劲薪。(谓桑、槐、桐、枥之类也。)其炭,曾经燔炙,为膻腻所及,及膏木、败器不用之。(膏木为柏、桂、桧也。败器,谓朽废器也。)古人有劳薪之味,信哉。
其水,用山水上,江水中,井水下。(《荈赋》所谓:“水则岷方之注,揖彼清流。”)其山水,拣乳泉、石池慢流者上;其瀑涌湍漱,勿食之,久食令人有颈疾。又多别流于山谷者,澄浸不泄,自火天至霜郊以前,或潜龙蓄毒于其间,饮者可决之,以流其恶,使新泉涓涓然,酌之。其江水取去人远者,井水取汲多者。
其沸如鱼目,微有声,为一沸。缘边如涌泉连珠,为二沸。腾波鼓浪,为三沸。已上水老,不可食也。初沸,则水合量调之盐味,谓弃其啜余,(啜,尝也。)无乃而[][](无味之意)钟其一味乎?第二沸出水一瓢,以竹夹环激汤心,则量未当中心而下。有顷,势若奔涛溅沫,以所出水止之,而育其华也。
凡酌,置诸碗,令沫饽均。(《字书》并《本草》:饽,茗沫也。)沫饽,汤之华也。华之薄者曰沫,厚者曰饽。细轻者曰花,如枣花漂漂然于环池之上;又如回潭曲渚青萍之始生;又如晴天爽朗有浮云鳞然。其沫者,若绿钱浮于水渭,又如菊英堕于鐏俎之中。饽者,以滓煮之,及沸,则重华累沫,皤皤然若积雪耳,《荈赋》所谓“焕如积雪,烨若春敷”有之。
第一煮水沸,而弃其沫,之上有水膜,如黑云母,饮之则其味不正。其第一者为隽永。(至美者,曰隽永。隽,味也,永,长也。味长曰隽永。《汉书》:蒯通著《隽永》二十篇也。)或留熟[盂]以贮之,以备育华救沸之用诸。第一与第二、第三碗次之。第四、第五碗外,非渴甚莫之饮。
凡煮水一升,酌分五碗。(碗数少至三,多至五。若人多至十,加两炉。)乘热连饮之,以重浊凝其下,精英浮其上。如冷,则精英随气而竭,饮啜不消亦然矣。
茶性俭,不宜广,[广]则其味黯澹。且如一满碗,啜半而味寡,况其广乎!
其色缃也。其馨使(译音,香至美之意)也。其味甘,檟也;不甘而苦,荈也;啜苦咽甘,茶也。(一本云:其味苦而不甘,檟也;甘而不苦,荈也。)
六之饮
翼而飞,毛而走,呿而言。此三者俱生于天地间,饮啄以活,饮之时义远矣哉!至若救渴,饮之以浆;蠲忧忿,饮之以酒;荡昏寐,饮之以茶。
茶之为饮,发乎神农氏,闻于鲁周公。齐有晏婴,汉有扬雄、司马相如,吴有韦曜,晋有刘琨、张载、远祖纳、谢安、左思之徒,皆饮焉。滂时浸谷,盛于国朝,两都并荆渝间,以为比屋之饮。
饮有粗茶、散茶、末茶、饼茶者,乃斫、乃熬、乃炀、乃舂,贮于瓶缶之中,以汤沃焉,谓之()茶。或用葱、姜、枣、橘皮、茱萸、薄荷之等,煮之百沸,或扬令滑(清),或煮去沫,斯沟渠间弃水耳,而习俗不已!
呜呼!天育万物,皆有至妙。人之所工,但猎浅易,所庇者屋,屋精极;所著者衣,衣精极;所饱者之饮食,食与酒皆精极。凡茶有九难:一曰造,二曰别,三曰器,四曰火,五曰水,六曰炙,七曰末,八曰煮,九曰饮。阴采夜焙,非造也;嚼味嗅香,非别也;膻鼎腥瓯,非器也;膏薪庖炭,非火也;飞湍壅潦,非水也;外熟内生,非炙也;碧粉缥尘,非末也;操艰搅逐,非煮也;夏兴冬废,非饮也。
夫珍鲜馥烈者,其碗数三。次之者,碗数五。若坐客数至五,行三碗;至七,行五碗;若六人以下,不约碗数,但阙一人而已,其隽永补所阙人。
七之事
三皇炎帝神农氏
周 鲁周公旦,齐相晏婴
汉 仙人丹丘子,黄山君,司马文园令相如,扬执戟雄
吴 归命侯,韦太傅弘嗣
晋 惠帝,刘司空琨,琨兄子兖州刺史演,张黄门孟阳,傅司隶咸,江洗马统,孙参军楚,左记室太冲,陆吴兴纳,纳兄子会稽内史俶,谢冠军安石,郭弘农璞,醒扬州温,杜舍人育,武康小山寺释法瑶,沛国夏侯恺,余姚虞洪,北地傅巽,丹阳弘君举,新安任育长,宣城秦精,敦煌单道开,剡县陈务妻,广陵老姥,河内山谦之。
后魏 琅琊王肃
宋 新安王子鸾,鸾弟豫章王子尚,鲍照妹令晖,八公山沙门谭济
齐 世祖武帝
梁 刘廷尉,陶先生弘景
皇朝 徐英公勋
《神农食经》:“茶茗久服,令人有力,悦志。”
周公《尔雅》:“檟,苦茶。”《广雅》云:“荆、巴间采叶作饼,叶老者,饼成以来膏出之。欲煮茗饮,先炙令赤色,捣末置瓷器中,以汤浇覆之,用葱、姜、橘子之芼之。其饮醒酒,令人不眠。”
《晏子春秋》:“婴相齐景公时,食脱粟之饭,炙三弋、五卯,茗菜而已。”
司马相如《凡将篇》:“乌喙、桔梗、芫华、款冬、贝母、木蘖、蒌、芩草、芍药、桂、漏芦、蜚廉、雚菌、荈诧、白敛、白芷、菖蒲、芒消、莞椒、茱萸。”
《方言》:“蜀西南人谓茶曰()。”
《吴志 韦曜传》:“孙皓每飨宴,坐席无不率以七升为限,虽不尽入口,皆浇灌取尽。曜饮酒不过二升。皓初礼异,密赐茶荈以代酒。”
晋《中兴书》:“陆纳为吴兴太守时,卫将军谢安常欲诣纳。(《晋书》云:纳为吏部尚书。)纳兄子俶怪纳无所备,不敢问之,乃私蓄十数人馔。安既至,所设惟茶果而已。俶遂陈盛馔,珍羞毕具。及安去,纳杖俶四十,云:‘汝既不能光益叔父,奈何秽吾素业?’”
《晋书》:“桓温为扬州牧,性俭,每宴饮惟下七奠伴茶果而已。”
《搜神记》:“夏侯恺因疾死。宗人字苟奴察见鬼神。见恺来收马,并病其妻。着平上帻,单衣,入坐生时西壁大床,就人觅茶饮。”
刘琨《与兄子南兖州刺史演书》云:“前得安州干姜一斤,桂一斤,黄芩一斤,皆所须也。吾体中溃闷,常仰真茶,汝可置之。”
刘咸《司隶教》曰:“闻南市有以困,蜀妪作茶粥卖,为簾事打破其器具,嗣又卖饼于市。而禁茶粥以蜀姥,何哉?”
《神异记》:“余姚人虞洪入山采茗,遇一道士,牵三青牛,引洪至瀑布山曰:‘吾丹丘比也。闻子善具饮,常思见惠。山中有大茗可以相给。祈子他日有瓯牺之余,乞相遗也。’因立奠祀,后常令家人入山,获大茗焉。”
左相《娇女诗》:“吾家有娇女,皎皎颇白皙。小字为纨素,口齿自清历。有姊字惠芳,眉目粲如画。驰骛翔园林,果下皆生摘。贪华风雨中,倏忽数百适。心为茶荈剧,吹嘘对鼎()。”
张孟阳《登成都楼》诗云:“借问杨子舍,想见长卿庐。程卓累千金,骄侈似五侯。门有连骑客,翠带腰吴钩。鼎食随时进,百和妙且殊。披林采秋橘,临江钓春鱼,黑子过龙醢,果馔逾蟹蝑。芳茶冠六清,溢味播九区。人生苟安乐,兹土聊可娱。”
傅巽《七诲》:“蒲桃宛柰,齐柿燕栗,恒阳黄梨,巫山朱橘,南中茶子,西极石蜜。”
弘君举《食檄》:“寒温既毕,应相霜华之茗;三爵而终,应下诸蔗、木瓜、元李、杨梅、五味、橄榄、悬豹、葵羹各一杯。”
孙楚《歌》:“茱萸出芳树颠,鲤鱼出洛水泉。白盐出河东,美豉出鲁渊。姜、桂、茶荈出巴蜀,椒、橘、木兰出高山。蓼苏出沟渠,精稗出中田。”
华佗《食论》:“苦茶久食,益意思。”
壶居士《食忌》:“苦茶久食,羽化,与韭同食,令人体重。”
郭璞《尔雅注》云:“树小似栀子,冬生,叶可煮羹饮。今呼早取为茶,晚取为茗,或一曰荈,蜀人名之苦茶。”
《世说》:“任瞻字育长,少时有令名,自过江失志。既下饮,问人云:‘此为茶?为茗?’觉人有怪色,乃自分明云:‘向问饮为热为冷。’”
《续搜神记》:“晋武帝时,宣城人秦精,常入武昌山采茗。遇一毛人,长丈余,引精至山下,示以丛茗而去。俄而复还,乃探怀中橘以遗精。精怖,负茗而归。”
《晋四王起事》:“惠帝蒙尘还洛阳,黄门以瓦盂盛茶上至尊。”
《异苑》:“剡县陈务妻,少与二子寡居,好饮茶茗。以宅中有古冢,每饮辄先祀之。二忆患之曰:‘古冢何知?徒以劳意。’意欲掘去之。母苦禁而止。其夜,梦一人云:‘吾止此冢三百余年,卿二子恒欲见毁,赖相保护,又享吾佳茗,虽潜壤朽骨,岂忘翳桑之报。’及晓于庭中获钱十万,似久埋者,但贯新耳。母告二子,惭之,从是祷馈愈甚。”
《广陵耆老传》:“晋元帝时有老姥,每旦独提一器茗,往市鬻之,市人竞买。自旦至夕,其器不减。所得钱散路傍孤贫乞人。人或异之,州法曹絷之狱中。至夜,老姥执所鬻茗器,从狱牖飞出。”
《艺术传》:“敦煌人单道开,不畏寒暑,常服小石子。所服药有松、佳、蜜之气,所余茶苏而已。”
释道说《续名僧传》:“宋释法瑶姓杨氏,河东人。永嘉中过江,遇沈台真,请真君武康小山寺,年垂悬车,饭所饮茶。永明中,敕吴兴礼致上京,年七十九。”
宋《江氏家传》:“江统,字应元。迁愍怀太子洗马。常上疏谏云:‘今西国场卖醯、面、蓝子、菜、茶之属,亏败国体。’”
《宋录》:“新安王子鸾、豫章王子尚诣昙济道人于八公山,道人设茶茗。子尚味之曰:‘此甘露也,何言茶茗?’”
王微《杂诗》:“寂寂掩高阁,寥寥空广厦。待君竟不归,收领今就槚。”
鲍照妹令晖著《香茗赋》。
南齐世祖武皇帝遗诏:“我灵座上慎勿以牲为祭,但设饼果、茶饮、干饭、酒脯而已。”
梁刘孝绰《谢晋安王饷米等启》:“传诏李孟孙宣教旨,垂赐米、酒、瓜、笋、菹、脯、酢、茗八种。气苾新城,味芳云松。江潭抽节,迈昌荇之珍;疆场擢翘,越茸精之美。羞非纯束野[],[]似雪之驴。鮓异陶瓶河鲤,操如琼之粲。茗同食粲,酢颜望柑。免千里宿舂,省三月种聚。小人怀惠,大懿难忘。”
陶弘景《杂录》:“苦茶轻身换骨,昔丹丘子、黄山君服之。”
《后魏录》:“琅琊王肃仁南朝,好茗饮、莼羹。及还北地,又好羊肉、酪浆。人或问之:‘茗何如酪?’肃曰:‘茗不堪与酪为奴。’”
《桐君录》:“西阳、武昌、庐江、晋陵好茗,皆东人作清茗。茗有饽,饮之宜人。凡可饮之物,皆多取其叶。天门冬、拔楔取根,皆益人。又巴东别有真茗茶,煎饮令人不眠。俗中多煮檀叶并大皂李作茶,并冷。又南方有瓜芦木,亦似茗,至苦涩,取为屑茶饮,亦可通夜不眠。煮盐人但资此饮,而交、广最重,客来先设,乃加以香芼辈。”
《坤元录》:“辰州溆浦县西北三百五里无射山,云蛮俗当吉庆之时,亲族集会歌舞于山上。山多茶树。”
《括地图》:“临遂县东一百四十里有茶溪。”
山谦之《吴兴记》:“乌程县西二十里,有温山,出御荈。”
《夷陵图经》:“黄牛、荆门、女观、望州等山,茶茗出焉。”
《永嘉图经》:“永嘉县东三百里有白茶山。”
《淮阴图经》:“山阳县南二十里有茶坡。”
《茶陵图经》云:“茶陵者,所谓陵谷生茶茗焉。”
《本草木部》:“茗,苦茶。味甘苦,微寒,无毒。主瘘疮,利小便,去痰渴热,令人少睡。秋采之苦,主下气消食。注云:春采之。”
《本草菜部》:“苦茶,一名茶,一名选,一各游冬,生益州川谷,山陵道傍,凌冬不死。三月三日采,干。注云:疑此即是今茶,一名荼,令人不眠。”《本草注》:“按《诗》云‘谁谓荼苦’,又云‘堇荼如饴’,皆苦菜也。陶谓之苦茶,木类,非菜流。茗,春采,谓之苦茶(途遐反。)。”
《枕中方》:“疗积年瘘,苦茶、蜈蚣并炙,令香熟,等分,捣筛,煮甘草汤洗,以末傅之。”
《孺子方》:“疗小儿无故惊蹶,以苦茶、葱须煮服之。”
八之出
山南
以峡州上,(峡州,生远安、宜都、夷陵三县山谷)。襄州、荆州次,(襄州,生南郑县山谷;荆州,生江陵县山谷)。衡州下,(生衡山、茶陵二县山谷)。金州、梁州又下。(金州,生西城、安康二县山谷;梁州,生褒城、金牛二县山谷)。
淮南
以光州上,(生光山县黄头港者,与峡州同)。义阳郡、舒州次,(生义阳县钟山者,与襄州同;舒州,生太湖县潜山者,与荆州同)。寿州下,(盛唐县霍山者,与衡州同也)。蕲州、黄州又下。(蕲州,生黄梅县山谷;黄州,生麻城县山谷,并与金州、梁州同也)。
浙西
以湖州上,(湖州,生长城县顾渚山谷,与峡州、光州同;生山桑、儒师二寺、白茅山悬脚岭,与襄州、荆州、义阳郡同;生凤亭山伏翼阁、飞云曲水二寺、啄木岭,与寿州、常州同;生安吉、武康二县山谷,与金州、梁州同。)常州次,(常州,义兴县生君山悬脚岭北峰下,与荆州、义阳君同;生圈岭善权寺、石亭山,与舒州同。)宣州、杭州、睦州、歙州下,(宣州,生宣城县雅山,与蕲州同;太平县生上睦、临睦,与黄州同;杭州临安、于潜二县生天目山,与舒州同;钱塘生天竺、灵隐二寺;睦州生桐庐县山谷;歙州生婺源山谷,与衡州同。)润州、苏州又下。(润州,江宁县生傲山,苏州长洲县生洞庭山,与金州、蕲州、梁州同。)
剑南
以彭州上,(生九陇县马鞍山至德寺、堋口,与襄州同。)绵州、蜀州次,(绵州龙安县生松岭关,与荆州同。其西昌、昌明、神泉县西山者并佳;有过松岭者不堪采。蜀州,青城县生八丈人山,与绵州同。青城县有散茶、末茶。)邛州次,雅州、泸州下,(雅州百丈山、名山,泸州泸川者,与金州同。)眉州、汉州又下。(眉州,丹棱县生铁山者。汉州,绵竹县生竹山者,与润州同。)
浙东
以越州上,(余姚县生瀑布泉岭曰仙茗,大者殊异,小者与襄州同。)明州、婺州次,[明州[贸阝]县生榆荚村,婺州东阳县东目山,与荆州同。)台州下。(台州始丰县生赤城者,与歙州同。)
黔中
生思州、播州、费州、夷州。
江南
生鄂州、袁州、吉州。
岭南
生福州、建州、韶州、象州。(福州生闽方山之阴县也。)
其恩、播、费、夷、鄂、袁、吉、福、建、韶、象十一州未详,往往得之,其味极佳。
九之略
其造具,若方春禁火之时,于野寺山园,丛手而掇,乃蒸、乃舂,乃炀,以火干之,则又棨、扑、焙、贯、棚、穿、育等七事皆废。
其煮器,若松间石上可坐,则具列废。用槁薪、鼎[钅历]之属,则风炉、灰承、炭挝、火筴、交床等废。若瞰泉临涧,则水方、涤方、漉水囊废。若五人以下,茶可末而精者,则罗废。若援藟跻岩,引絙入洞,于山口灸而末之,或纸包盒贮,则碾、拂末等废。既瓢、碗、筴 、札、熟盂、鹾簋悉以一筥盛之,则都篮废。但城邑之中,王公之门,二十四器阙一,则茶废矣。
十之图
以绢素或四幅或六幅,分布写之,陈诸座隅,则茶之源、之具、之造、之器、之煮、之饮、之事、之出、之略目击而存,于是《茶经》之始终备焉。
[宋]赵佶著
2006年 02月 16日
【原文】
尝谓首地而倒生,所以供人求者,其类下一。谷粟之于饥,丝[
上台下木]之于寒①,虽庸人孺子皆知常须而日用,不以时岁之舒迫
而可以兴废也。至若茶之为物,擅瓯闽之秀气,钟山川之灵禀,祛襟
涤滞,致清导和,则非庸人孺子可得而知矣,中澹间洁,韵高致静。
则非遑遽之时可得而好尚矣。本朝之兴,岁修建溪之贡②,尤团
凤饼③,名冠天下,而壑源之品,亦自此而盛。延及于今,百废俱兴
,海内晏然,垂拱密勿④,幸致无为。缙绅之士,韦布之流,沐浴膏
泽,熏陶德化,盛以雅尚相推,从事茗饮,故近岁以来,采择之精,
制作之工,品第之胜,烹点之妙,莫不盛造其极。且物之兴废;固自
有时,然亦系平时之汗隆⑤。时或遑遽,人怀劳悴,则向所谓常须而
日用,犹且汲汲营求,惟恐不获,饮茶何暇议哉!世既累洽⑥,人恬
物熙。则常须而日用者,固久厌饫狼籍,而天下之士,励志清白,兢
为闲暇修索之玩,莫不碎玉锵金,啜英咀华。较筐箧之精,争鉴裁之
别,虽下士于此时,不以蓄茶为羞,可谓盛世之情尚也。呜呼!至治
之世,岂惟人得以尽其材,而草木之灵者,亦得以尽其用矣。偶因暇
日,研究精微,所得之妙,后人有不自知为利害者,叙本末列于二十
篇,号曰茶论。
【注释】
①丝[上台下木]之干寒:[上台下木],音xi1,麻。《玉篇〉:
“麻,有籽曰苴,无籽曰[上台下木]。”
②岁修建溪之贡:建溪,原为河名,其源在浙江,流入福瓯县境
内。所产的茶气味香美,唐代即为贡品。宋初,朝廷更派专使在此焙
制茶叶进贡。
③龙团凤饼:茶名,为福建北苑精制的“贡茶”。
④垂拱密勿:垂拱,垂衣拱手,古时形容太平无事,可无为而治
。密勿,勤劳谨慎。颜师古〈五经定本〉注:“密勿,犹黾勉从事也
”。
⑤时之汗窿:汗隆,即隆污,指世道之盛衰或政治的兴替。
⑥世既累洽:累洽,世代相承太平无事。
【原文】
地产:植产之地,崖必阳,圃必阴。盖石之性寒,其叶抑以瘠①
,其味疏以薄②,必资阳和以发之;土之性敷③,其叶疏以暴④,其
味强以肆⑤,必资阴荫以节之。阴阳相济,则茶之滋长得其宜。
【注释】
①其叶抑以瘠:抑,受抑制;瘠,瘦小。
②其味疏以薄:疏,稀、少。〈老子〉:“天网恢恢,疏而不漏
。”
③土之性敷:敷,肥沃,敷腴。
④真叶疏以暴:疏,疏展、充分展开。暴,脱落,
⑤其味强以肆:肆,放纵无节制。
【原文】
天时:茶工作于惊蛰①,尤以得天时为急。轻寒,英华渐长;条
达而不迫,茶工从容致力,故其色味两全。若或对[1]郁燠②,芽甲
奋暴,促工暴力随稿,晷刻所迫,有蒸而未及压,压而未及研,研而
未及制,茶黄留积,其色味所失已半。故焙人得茶天为庆。
【注释】
①茶工作于惊蛰:惊蛰,二十四节气之广。在每年农历二月上旬
。
②时[1]燠:[1],读音yang4,日出。燠,读音yu4,闷热。
[1]:“炀”字火旁换日旁。
【原文】
采择:撷茶以黎明,见日则止。用爪断芽,不以指揉,虑气汗熏
渍;茶不鲜洁。故茶工多以新汲水自随,得芽则投诸水。凡牙如雀舌
谷粒者为斗品①,一枪一旗为拣芽②,一枪二旗为次之,余斯为下。
茶之始芽萌则有白合,既撷则有鸟带③,白合不去害茶味,鸟带
不去害茶色。
【注释】
①凡芽如雀舌谷粒者为斗品:雀舌谷粒,茶芽刚刚萌生随即采摘
,精制成茶后形似雀舌谷粒细小嫩香。后世“雀舌”成一种优质茶名
。斗品,品位最上等的茶。
②一枪一旗为拣芽:一枪一旗,即一芽一叶,芽未展尖细如枪,
叶已展有如旗帜。又称“中芽”。下文一枪二旗即一芽二叶。
③白合、乌带:百合,指两叶抱生的茶芽。乌带,当为“乌蒂”
,茶芽的蒂头。
【原文】
蒸压:茶之美恶、尤系于蒸芽压黄之得失。蒸太生则芽滑,故色
清而味烈;过熟则芽烂,故茶色赤而不胶①。压久则气竭昧漓②,不
及则色暗昧涩。蒸芽欲及熟而香,压黄欲膏尽急止。如此,则制造之
功,十已得七、八矣。
【注释】
①茶色赤而不胶:胶,牢固。《诗经·隰桑〉:“既具君子,德
音孔胶”。
②气竭味漓,漓,薄。〈司马光赋〉:“弃漓而归厚”。
【原文】
制造:涤芽惟洁,濯器惟净①,蒸压惟其宜,研膏惟熟,焙火惟
良。饮而有少砂者,涤濯之下精也;文理燥赤者,焙火之过熟也。夫
造茶,先度日晷之短长②,均工力之众寡,会采择之多少,使一日造
成,恐茶过宿,则害色味。
【注释】
①濯器惟净:濯,读音zhuo2,洗涤。〈孟子·离娄上〉:“清
所濯缨。浊斯濯足矣”。
②日晷:晷,读音gui3,日影,引申为时光。
【原文】
鉴辩:茶之范度不同,如人之有首面也。膏稀者,其肤蹙以文;
膏稠者,其理歙以实;即日成者,其色则青紫;越宿制造者,其色则
惨黑。有肥凝如赤蜡者。末虽白,受汤则黄;有缜密如苍玉者,末虽
灰,受汤愈白。有光华外暴而中暗者,有明白内备而表质者,其首面
之异同,难以慨论,要之,色莹彻而不驳,质缤绎而不浮,举之凝结
,碾之则铿然,可验其为精品也。有得于言意之表者,可以心解,又
有贪利之民,购求外焙已采之芽,假以制造,碎已成之饼,易以范模
。虽名氏采制似之,其肤理色泽,何所逃于鉴赏哉。
白茶①:白茶自力一种,与常茶不同,其条敷阐,其叶莹薄。崖
林之间,偶然生出,虽非人力所可致。有者不过四、五家,生者不过
一、二株,所造止于二、三胯而已②。芽英不多,尤难蒸培,汤火一
失,则已变而为常品。须制造精微,运度得宜,则表里昭彻,如玉之
在璞,它无与伦也;浅焙亦有之,但品不及。
【注释】
①白茶:宋代福建北苑贡茶品种之一,因品质优质、产量少而难
得,一直在北苑贡茶中名列第一。
②所造止二、三胯:胯,当作“[金夸]"。[金夸]为压制饼茶的
模具。《宣和北苑贡茶录》载有“贡新[金夸]"、”试新[金夸]"等饼
茶模具数十种。这里引申为度量单位。二、三[金夸]即二、三个用铸
压成的饼茶。
【原文】
罗碾:碾以银为上,熟铁次之,生铁者非掏拣捶磨所成,间有黑
屑藏干隙穴,害茶之色尤甚,凡碾为制,槽欲深而峻,轮欲锐而薄。
槽深而峻,则底有准而茶常聚①:轮锐而薄,则运边中而槽不戛
②。罗欲细而面紧,则绢不泥而常透。碾必力而速,不欲久,恐铁之
害色。罗必轻而平,不厌数,庶已细青不耗。惟再罗则入汤轻泛,粥
面光凝③,尽茶之色。
【注释】
①底有准而茶常聚:准,平直。《说文〉:“准,平也”。此处
指碾槽底是平直的,槽身峻深,槽底平直,茶叶容易聚集在槽底,碾
出的茶未大小均匀。
②运边中而槽不戛:戛,读音jia2,敲击。
③粥面光凝,古人煎茶时称汤光茶多,茶叶浮在表面,如熬出的
粥面一样泛出光泽,叫“粥面聚”。
【原文】
盏:盏色贵青黑,玉毫条达者为上①,取其燠发茶采色也。底必
差深而微宽,底深则茶宜立而易于取乳②,宽则运筅旋彻不碍击拂,
然须度茶之多少。用盏之大小,盏高茶少则掩蔽茶色,茶多盏小则受
汤不尽。盏惟热则茶发立耐久。
【注释】
①盏色贵青黑,玉毫条达者为上:宋人斗茶,茶汤尚白色,所以
喜欢用青黑色茶杯,以相互衬托。其中尤其看重黑釉上有细密的白色
斑纹,古人称为“兔毫斑”。见前注。
②易于取乳:宋人斗茶,以茶面泛出的汤茶色白为止,乳即指白
色汤花。宋代大诗人苏轼《试院煎茶》诗云:“雪乳已翻煎处脚,松
风忽作泻时声”。
【原文】
筅①,茶筅以[角力]竹老者为之:身欲厚重,筅欲[正束]劲,本
欲壮而未必吵,当如剑瘠之状。盖身厚重,则操之有力而易于运用;
筅[正束]劲如剑瘠,则击拂虽过而浮沫不生。
【注释】
①筅:读音xian3,古时茶具,竹制形似帚,用以搅拂茶汤。
【原文】
瓶,瓶宜金银,小大之制,惟所裁给。注汤害利,独瓶之口嘴而
已。嘴之口差大而宛直,则注汤力紧而不散;嘴之未欲园小而峻削,
则用汤有节而不滴沥。盖汤力紧则发速有节,不滴沥,则茶面不破。
构:构之大小,当以可受一盏茶为量,过一盏则必归其余,不及
则必取其不足。倾勺烦数,茶必冰矣。
水:水以清轻甘洁为美①。轻甘乃水之自然,独为难得。古人品
水,虽曰中泠惠山为上②,然人相去之远近,似不常得。但当取山泉
之清洁者。其次,则井水之常汲者为可用。若江河之水,则鱼鳖之腥
,泥泞之污,虽轻甘无取。凡用汤以鱼目蟹眼连绎并跃为度。过老则
以少新水投之,就火顷刻而后用。
【注释】
①水以清轻甘洁为美:古人烹茶,极重水的质量。清轻甘洁,就
是对水的要求。清,是对浊而言,要求水澄汪不混浊:轻,是对重而
言,好水质地轻,即今日说的“软水”;洁,干净卫生,无污染。这
三者是讲水质。甘则指水味,要求入口有甜美,不咸不苦。
②中泠惠山为上:中泠,在长江镇江一带,唐人〈煎茶水记》说
:“扬子江南零水,第一。”南零,即南泠,与北泠、中泠合称“三
泠”,唐以后人多称道中泠。惠山,在江苏无锡。《煎茶水记》说:
“无锡惠山寺石水,第二”。
【原文】
点①:点茶不一。而调膏继刻②,以汤注之,手重筅轻,无粟文
蟹眼者,调之静面点。盖击拂无力,茶不发立,水乳未浃,又复增汤
,色泽不尽,英华沦散,茶无立作矣。有随汤击拂,干筅俱重,立文
泛泛。谓之一发点、盖用汤已故,指腕不圆,粥面未凝。茶力已尽,
云雾虽泛,水脚易生。妙于此者,量茶受汤,调如融胶。环注盏畔,
勿使侵茶。势不砍猛,先须搅动茶膏,渐加周拂,手轻筅重,指绕腕
旋,上下透彻,如酵蘖之起面。[正束]星皎月,灿然而生,则茶之根
本立矣。第二汤自茶面注之,周回一线。急注急上,茶面不动,击指
既力,色泽惭开,珠玑磊落。三汤多置。如前击拂,渐贵轻匀,同环
旋复,表里洞彻,粟文蟹眼,泛结杂起,茶之色十已得其六七。四汤
尚啬。筅欲转稍宽而勿速,其清真华彩,既已焕发,云雾渐生。五汤
乃可少纵,筅欲轻匀而透达。如发立未尽,则击以作之;发立已过,
则拂以敛之。结浚霭,结凝雪。茶色尽矣。六汤以观立作,乳点勃结
则以筅著,居缓绕拂动而已,七汤以分轻清重浊,相稀稠得中,可欲
则止。乳雾汹涌,溢盏而起,周回旋而不动,谓之咬盏。宜匀其轻清
浮合者饮之,《桐君录》曰,“茗有饽,饮之宜人,虽多不力过也。
”【注释】
①点:把茶瓶里煎好的水注入茶杯中。
②调膏继刻:调膏,来人饮茶,先在茶杯里放人茶未二钱,注入
少许水,加以搅动,使茶膏像融胶那样有一定浓度和粘度,这叫”调
膏”,此后才注入煎好的沸水。
【原文】
味:夫茶以味为上。香甘重滑,为味之全。惟北苑壑源之品兼之
。其味醇而乏风骨者,蒸压太过也。茶枪乃条之始萌者,木性酸,枪
过长则初甘重而终微涩,茶旗乃叶之方敷者,叶味苦,旗过老则初虽
留舌而饮彻反甘矣。此则芽胯有之,若夫卓绝之品,真香灵味,自然
不同。
香:茶有真香,非龙麝可拟①。要须蒸及熟而压之,及千而研,
研细而造,则和美具足。入盏则馨香四达。秋爽洒然。或蒸气如桃人
夹杂②,则其气酸烈而恶。
【注释】
①非龙麝可拟:龙麝,龙脑、麝香。都是古代著名香料。
②或蒸气如桃人夹杂:桃人,即“桃仁”。茶蒸不熟时会有桃仁
一类草木异味。宋人黄儒《品茶要录》说,“蒸不熟,则虽精芽,所
损者甚多,试时色青易沉。味为挑仁之气者,不蒸熟之病也。唯正熟
者味甘香”。
【原文】
色:点茶之邑,以纯白为上真,青白为次,灰白次之,黄白又次
之。天时得于上,人力尽于下,茶必纯白。天时暴暄,芽萌狂长,采
造留积,虽白而黄矣。青白者蒸压微生。灰白者蒸压过熟。压膏不尽
,则色青暗。焙火太烈,则色昏赤。
藏焙,数焙则首面干而香减。失焙则杂色剥而味散,要当新芽初
生,即焙以去水陆风湿之气。焙用热火置炉中,以静灰拥合七分①,
露火三分,亦以轻灰糁覆,良久即置焙篓上,以逼散焙中润气。然后
列茶于其中,尽展角焙,未可蒙蔽,候人速彻覆之。火之多少,以焙
之大小增减。探手中炉:火气虽热,而不至逼人手者为良。时以手[
扌妥]茶,体虽甚热而无害,欲其人力通彻茶体尔。或曰,焙火如人
体温,但能燥茶皮肤而已,内之湿润未尽,则复蒸[1]矣②。焙毕,
即以用久竹漆器中缄藏之③。阴润勿开,终年再焙,色常如新。
【注释】
①以静灰佣合:静灰,据其它茶书记载,应为
②则复蒸[1]矣:读音ye1,热气。
③缄藏之:缄,封闭。
[1]:“喝”字口旁换日旁【原文】
品名:名茶各以圣产之地叶。如耕之平园台星岩叶,刚之高峰青
凤髓叶,思纯之大岚叶,屿之屑山叶,五崇柞之罗汉上水桑牙叶,坚
之碎石窠石臼窠叶,琼叶。辉之秀皮林叶,师复师贶之虎岩叶,椿之
无又岩芽叶,懋之老窠园叶①,各擅其美,未尝混淆,不可慨举,后
相争相鬻,互为剥窃,参错无据。不知茶之美恶,在于制造之工拙而
已,岂岗地之虚名所能增减哉。焙人之茶,固有前优而后劣者,昔负
百今胜者,是亦园地之不常也。
【注释】
①以上所述各产茶地和名茶,都是其时其地的。随着时代的发展
,有盛有衰,至旋生旋灭,即下文所言:“是亦园地之不常也”。今
己大部不存,注亦无甚意义,故不注。
【原文】
外焙①:世称外焙之茶,脔小而色驳②,体耗而味淡。方正之焙
,昭然则可。近之好事者,[上竹下夹]笥之中,往往半之,蓄外焙之
品。盖外焙之家,久而益工,制之妙,咸取则于壑源,效像规模摹外
为正,殊不知其宵虽等而蔑风骨,色泽虽润而无藏畜,体虽实而缜密
乏理,味虽重而涩滞乏香,何所逃乎外焙哉?虽然,有外焙者,有浅
焙者。盖浅焙之茶,去壑源为未远,制之能工,则色亦莹白,击拂有
度,则体亦立汤,惟甘重香滑之味,稍远于正焙耳。于治外焙,则迎
然可辨。其有甚者,又至于采柿叶桴榄之萌,相杂而造。时虽与茶相
类,点时隐隐如轻絮,泛然茶面,粟文不生,乃其验也。桑苎翁曰:
“杂以卉莽,饮之成病。”可不细鉴而熟辨之。
【注释】
①外焙:不是由官方正式设置的焙茶处处所,亦即个人私设的茶
叶加工制造处所。
②脔小而色驳:脔,本为肉块。《说文》:“切肉,脔也”。这
里指茶叶体瘦小.色驳,颜色不正。