カテゴリ:紅茶・物語( 12 )

その時に歴史を動いた!
茶とアヘン!


16世紀から、中国の茶葉からイギリスに伝えて、
最初は貴重な薬品として、薬店に売れっています。
19世紀になって、お茶を飲む習慣がイギリスの日常生活必要品になった。

イギリスの気候は
お茶を生産できないから、

18世紀まで、お茶がほんどんど中国にしか生産していないことです、
イギリスは中国からお茶や磁器など大量輸入していました。

公元1793年、
清の乾隆時代は
国内経済がとても隆盛の時期です。
その時に外国に貿易をするつもりないです。

この年にイギリス大使は乾隆の「大寿」を祝い機会に
イギリスのジョージ三世は
清の皇帝乾隆に貿易を
開通要求文書が申し入れました。



乾隆皇帝の回答は、
「天朝物产丰盈,
无所不有,原不藉外夷货物以通有无、
特因天朝所产茶叶、瓷器、
为西洋各国及尔国必需之物,是以加恩体恤,
在澳门开设洋行,俾得日用有资,并沾余润。」

上記漢字の意味は
清の国が何でもありますから、
外国から輸入必要ないです。
しかし、清朝は茶葉、磁器など
西洋各国が必要物ですから、
皇帝の恩恵として、
広東だけのみ貿易港を開通し、
世界の貿易交流して言いました。

しかし、イギリスは大量のお茶や磁器の輸入による、
とても大きな貿易赤字になり、
大量の白銀がイギリス空中国に流入し、
イギリス国の銀庫がすくなくなっている。
史料による、
1781-1790年の十年間に、
中国からイギリスに茶葉の買い上げは
約9600万両白銀、
しかし、イギリスから中国に売り込みは
わずか1,600万両白銀です。

銀がなくなるイギリスは
銀の外流止めるために、
貿易差を無くすために、
イギリスの東インド会社は
インドに生産している
アヘン

は中国に輸出した。

アヘンはケシの実から作る麻薬です、
常飲する中毒になる、
心や体がだめになって行く。
体力がなくなり、働きできません。

清の政府が混乱してきた社会みて、
慌てて1800年から
アヘンの輸入禁止令をだした。

本格な禁煙運動は
1839年です、
厳しい政策で、
集まったアヘンはすべての燃やした。

イギリスは禁煙運動に対して不満で、
ついで戦争に起こした。
それは世界に有名な
「アヘン戦争」でした。

アヘン戦争は表面から見ると、
アヘンの禁煙運動から起こしているんですが、
実はイギリスがお茶や磁器、シルクなどを輸入しすぎて、
お茶や磁器、シルクなどによる起こした貿易戦争である。

f0070743_122586.jpg

[PR]
by 10tea | 2008-07-13 00:58 | 紅茶・物語 | Comments(0)
なぜ?アメリカはコーヒー主流?
お茶にもすき?


アメリカ人が飲むものと言えばコーヒーと思った人が多いです、
確かに現在でもコーヒーの良く飲んでいます。

実はアメリカ人が最初お茶にも良く飲んでいました。
なぜなら、実がアメリカの国ですが、
少数のネイティブ・アメリカンと呼ばれる先住民の以外に
多く国民はユーラシア大陸からの移民です、
またアフリカ大陸から奴隷貿易による
強制連行された人の子孫である。
1776年に独立した世界史からみると
とても歴史が短い新しい人造国家です。

アメリカは
もっとオランダ支配している地区ですが、
イギリスの強大による、
植民地から海上権がほぼイギリスの支配になっていました。
新大陸でお茶を飲む始めたはオランダ系の移民です、
しかし1664年にイギリスはオランダの手から、
新大陸を奪い、ニューヨークと改名した。
その時にお茶上級階級中にお茶を普及されています。

1690年はロンドンからやってきた商人が
ポストンで「コーヒー・お茶・ココア」のお店を引いて、
お茶のビジネスが異常に活躍している証拠です。
お茶が民衆の飲み物になって、
飲み物関係する器もイギリスに大量輸入しています。
アメリカはお茶を消費する量がとても多くて、
イギリス東インド会社の一大財源になっていました。

しかしイギリスの本国や植民地のアメリカでも、
お茶の税金がとても高いです。
イギリスはオランダ経済や海上権を抑えるために、
お茶は必ずイギリス東インド会社に買う法律を作っていました。
最初が商人がイギリス東インド会社から仕入れているが、
イギリス東インド会社がから仕入れたお茶の税金があまり高くて、
多く商人が
「密輸入茶」
を買うことに多く増えています。

ついで、イギリス東インド会社のお茶を売れなくて、
800万ぐらいトンの在庫になってしまいました。

イギリスがもっともアメリカ植民地にたいして、
経済や政治残酷な圧迫していました。
植民地の強く反対で、
1770年一部の物が課税を廃除していました。
しかしお茶だけに残ります。

イギリスは倒産する
危機になるイギリス東インド会社を
救えるために、
新しい「茶条令」を作りました。
オランダから「密輸入茶」を閉めるため、
イギリスはイギリス東インド会社が
アメリカでお茶を
独占売買権利があげました。



「茶条令」

を出した1773年の
12月にアメリカの500ぐらい住民が、
ポストンにイギリス東インド会社の貿易船に乗り込んで、
船に積んでいた342箱のお茶を海に投げてしまった、
約7000トンお茶が全部海に沈んで、魚の餌になりました。
これは有名な「ポストンティーパーティー事件」
でした。

イギリスはアメリカに賠償を求めて、

「ポストン港」を封鎖法

を作りました。
さらにいろいろな圧迫法も成立して、
アメリカ植民側1774に大陸会議を開いて、
イギリスと抵抗して、
ついで1775年独立戦争になりました。

お茶はアメリカ独立する戦争の
きかげを作りました。
お茶はアメリカ植民に対して、
圧迫の象徴な飲み物です。

いい思い出ではないお茶に対して、
アメリカ人がお茶と離れて行く物になりました。
人々がコーヒーを飲むようになりました。


f0070743_204491.jpg


歴史古いである茶工場!
[PR]
by 10tea | 2008-06-06 19:27 | 紅茶・物語 | Comments(0)
緑茶から紅茶の道、
イギリス人の味覚を聞くべき?


最初はイギリスは紅茶、緑茶中心飲んでいました。
緑茶が三国時代すでに飲まれていますが、
紅茶ですが、その時代がまたないです。
中国から輸入して紅茶がいつから製造している、
色色な調べによる、なかなか正確な答えがないです。

しかし、色色な文献による、
紅茶が宋代から明代の間に発明してた製造方法です。

イギリス東インド会社の注文記録によると、
1721年から1760年間に、
一番よく飲んでいたお茶は「ボヘア」です、
ボヘア紅茶の輸入量が1600噸(総輸入量の37.8%)
ぐらいから1,1254噸総輸入量の65%)
グらいまで増えて輸入していました。

最高級なペコー紅茶が
53頓(総輸入量の1.5%)ぐらいから
49頓(総輸入量の0.3%)ぐらいまで落ちていました。

緑茶は2,179噸(総輸入量の52%)ぐらいから
5,361頓(総輸入量の30%)ぐらいになっていました。

高級緑茶は19噸(総輸入量の0.5%)ぐらいから
656頓(総輸入量の3.7%)ぐらいになっていました。

以上資料が見ると、
イギリス人が緑茶から紅茶への道は
39年の間に変わっていました。
高質のお茶がランク低いものをなっている方向で
ある意味お茶の普及してから、
誰でも対象してビジネスの展開の原因がある見られます。

イギリス人が
高質お茶を判断する基準

お茶のビジネスで始まり18世紀ごろ、
1771年発刊した
「ブリタニカ」によるお茶の分類として、
普通なお茶、良質なお茶の基準を説明していた。

主要な判断基準は4点中心です。

①茶葉の外観、
②茶湯の色、
③茶の香り、
④茶の味


普通な緑茶なら
茶葉の形がしわがあります、
葉の色が黒いグリーン、
味がやや渋く、
香りが穏やかな快適です。
茶湯の色が強い黄色がかかったグリーンです。

良質な緑茶:
茶葉の形が揃って、しわがないです。
色がブルーグリーン色です、
香りがなんとも言えない素晴らしい高い香りです。
味はとてもまろやかで気持ちがいいほど素晴らしいです。
茶の湯色がとても薄いグリーンです。

紅茶の味が、
甘さと渋み混ざって、
とてもバランスがよい、
香りがバラに近いである。


以上1771年イギリス商売人達が
お茶に対してよく使って、
お茶のランクをつけてる基準です。

その基準がよければ、
われわれ生活中に飲んでいる
お茶と嵌まってみてください、
何か、いくつの不思議なことを
見つけれませんか?

[PR]
by 10tea | 2008-05-25 21:30 | 紅茶・物語 | Comments(0)

イギリスでお茶の賛否論

お茶の賛否論

お茶はオランダに入った時に
オランダ人もなかなかお茶を受けられないでした。
当然イギリスもその通りでした。

イギリスでお茶は上流社会から、
農民、職人、貧民まで広がって、
誰でも飲む出来る時代は18世紀になってからことです。
オランダより100年くらい遅かった。

お茶は最初イギリスで売る場所ですが、
コーヒーハウスだけなく、
もう一つ重要売り場は薬店です。
薬として売っていることが明らかです。

唐代の陸羽さんが書いた「茶経」、
日本の栄西が書いた「喫茶養生記」どちも
お茶の効能効果について述べています。

イギリス人がこの東方の神密な飲み物に対して、
賛成する医者や文化人は多いです、
しかしその中に一部反対する声もありました。

お茶を飲む反対する理由①:
お茶が贅沢なものです、
お茶の飲むとお金を使うから、
生活が貧しいなります。

お茶を飲む反対する理由②:
お茶は健康によくないです、
なぜなら、お茶を飲むと、
体が休むになるから、
働きからだが弱くなります。


この二点は当時の反対主要理由である、
また「メソジスト教会」を創始した
「ジョン・エイズレー」が反対者の主要人物である。

彼は最初お茶を飲む反対運動をすごく力にかけました、
1784年彼から友人への手紙でお茶が身体によくない書いていました。
また1746年7月6日、
彼はロンドンの教会の会員達呼んで、
お茶のを飲まないで、
節約したお金で貧しい人に応援する運動もしていました。

しかし、皮肉ことが
彼は晩年の時に、
お医者のからお勧めされて、
再びお茶を飲み始まりました。
その時代に大きなの壺を作る陶磁器王の
ジョサイア・ウェジウッドが特別彼のために作った
ティ・ボットは本人が自らお茶を入れて、
人にお茶を飲ませていました。

また当時の経済学者、農学者の

「アーサーヤング」
さんも
お茶を飲むこと反対した。
彼の理由が簡単です。
そのときにイギリス経済がよくなって、
労働者の給料があげています。
贅沢なお茶を買える労働者がお茶を飲むと、
働き時間がなくなるから、
お茶を飲むことの反対運動をかけました。

安い給料で、お茶を買えない労働者になれば、
労働者が働くことがしか考えないことになります、、
そうすると経済がよくなります。
異常な非人道的利益だけを追求していました。

それはお勧めしている彼はにたいして、
そのお茶を飲む流れを止める無力な運動でした。

18世紀にお茶を反対運動が良くありましたが、
最後結局がお茶を飲む辞める出来ないイギリスが
お茶のビジネスをついで乗り出した。
[PR]
by 10tea | 2008-05-24 00:24 | 紅茶・物語 | Comments(0)
コーヒー
ハウスでお茶を売る??


オランダ会社を通じてお茶がイギリスに入った、
しかし市販するは1653年以後でした。

トーマス・ギャラウェイというタバコ商が
コーヒーハウスの店主に頼んで、
お茶の葉やお客さんに飲ませて、
それはお茶を最初売るの始まりでした。

コーヒーはお茶がより早くイギリスに入って、
飲み物が貧しいイギリスにとって、
コーヒー最初にも珍しいもので、
豪華な飲み物で人気が集まりました。

お茶がコーヒーより遅くイギリスに入って、
値段がコーヒーよりさらに高くなっていました。
上流階しか買う出来ないお茶は
上流階が活動しているコーヒーハウスに売ることが
ビジネスとして、
とても似合うでした。

お茶が最初病気や予防薬としてうっていました。
1660年「ギャラウェイ」の店主が
お茶のポスターによると、
お茶の薬効果を強調して、
お茶の初めての宣伝広告でもある。
[PR]
by 10tea | 2008-05-22 23:38 | 紅茶・物語 | Comments(0)
イギリス人は
最初飲んだお茶とは?



イギリスのお茶言うと、
紅茶をこたえする人が多いですが、
実はイギリスが最初飲んでいたお茶が緑茶です。

イギリス人が最初は紅茶を飲んでいる話は
よくほかの本、人の話による、
お茶をイギリスに運ぶ途中で、
あまり時間が長いから、
発酵されて、イギリスに着いたら
紅茶になりました噂を聞いています。
それはあまり無証拠の話です。

イギリス東インド会社の記録による、
お茶は初めて現るは1660年、
イギリス東インド会社ではお茶が1669年にはじめ輸入として登場した。
そのお茶はパンダムから輸入されているらしいです。
そのときの輸入量が60キロぐらいです。

しかし、毎年にお茶を輸入することになったは1680年です。
量がわずか数箱でした。
そのときにイギリスはオランダ東インド会社より50年遅くなっています。

1702年東インド会社の買い付け記録によると、
緑茶はお茶の総量の三分の二占めている、
紅茶はお茶の輸入総量の六分の一である、
はるかに緑茶が多いです。
そのときに緑茶ははるかに紅茶より仕入れ値が高いです。
十八紀になってから、
紅茶輸入量はやっと緑茶を超えました。

だから、
イギリス人が最初飲んでいましたお茶は緑茶が
確かな事実です。

しかし面白ことですが、
イギリス東インド会社はお茶を扱う前に、
イギリスはオランダ東インド会社が通じて、
お茶を入っています。それは1630年ごろでした。


f0070743_23142782.jpg

[PR]
by 10tea | 2008-05-21 22:25 | 紅茶・物語 | Comments(0)

イギリス人が憧れたお茶

イギリス人が憧れたお茶

現在は紅茶といえば、イギリスと思う方多いですが、
では、イギリスにはいつからお茶の飲んでいるでしょうか?
イギリスはお茶を作っているでしょうか?
その疑問する人があるでしょうか?


実は世界のお茶の発祥地が中国であること、
世界のお茶について研究している学者、
専門家など知識を持つ方がご存知しています。

世界のお茶の原産地は中国の雲南省、
貴州省、四川省である。
だからこそ、
世界のお茶は中国から世界に伝えています。

そうすると、中国茶、日本茶、紅茶は実に
同じツバキ科の一種「カメリア・シネンシス」という植物から作られています。
それは全部中国からあいは種、茶樹など持て帰って、
挿し木の技術で各国に繁殖して、各国のお茶になりました。


しかし、イギリスが例外であります。
イギリス紅茶が有名ですけど、
実はイギリスにも今でもお茶を作っていません。


ここで世界に知られている、
日本でも大好きなイギリスの紅茶のことについて紹介します。
[PR]
by 10tea | 2008-05-19 19:38 | 紅茶・物語 | Comments(0)

正山紅茶

今日は名古屋に行きます、
東京の新幹線駅にこんな物をありました、
前回もありましたが、
買う時間を無く飲んでいないでした。

f0070743_13492757.jpg


今日は買いました、
これは味がまあまあでしたが、
あまり不思議な気持ちでした。
f0070743_1349427.jpg


正山紅茶について
こち詳しく説明しております。

[PR]
by 10tea | 2006-09-15 13:51 | 紅茶・物語 | Comments(0)
英国貴族を絶賛させたオリエンタルな紅茶
正山小種(ラプサンスーチョン)


ラプサンスーチョンー(正山小種紅茶)の
原産地は福建省武夷山市星村桐木関周りです。
『中国茶経』による、正山は高い地理の生産物で意味です。
武夷山中に生産しているお茶は『正山』
武夷山の周りどこ正山しているお茶は『外山』((人工工夫煙小種)という、
他の産地と区別為に
正山小種は星村小種も呼びます。

正山小種紅茶の味

正山小種紅茶は紅茶の鼻祖であります、
味が二種類をあります。

一は東方口味です、それは桂園味(龍眼香)、
二つ目は:Lapsang 小種です、クセのあるスモーキーな香り。

ただ、本来の中国茶としての正山小種には
龍眼香と呼ばれる独特の良い香りがあるそうです。

正山紅茶は17世紀に良く知られました。

『茶葉全書』の茶葉年表による、
1705年、イギリスに緑茶(greentea)はや紅茶(blacktea)など販売している。


f0070743_946836.jpg

武夷山の正山小種紅茶生産地により写真です。
[PR]
by 10tea | 2006-08-10 09:46 | 紅茶・物語 | Comments(0)

中国語で紅茶の等級を表す際にも小種という字が使われます。
正山小種を Zhengshan xiaozhong (ジョンシャンシャオジョン)と発音します。

英名は Lapsang souchon (ラプサンスーチョン)
といってもこれは英語ではなく、中国語の方言がなまって西欧に伝わりしたとされます。

FOP(Flowery orange pekoe )黄白毫 
BOP(Broken orange pekoe)黄白毫
S(Souchong)小種
F(Fanning tea)片茶
D(Dust tea)末茶

今日は今年の正山紅茶と
今年の手摘みダージリンを飲んでみました。
茶湯は武夷正山小種紅茶ーーラプサンスーチョンです。
手摘みダージリンは二子玉川の高島屋で30Gで4000円のものです、
かなり良い物でした。

f0070743_20193844.jpg


武夷正山小種紅茶ーーラプサンスーチョンの茶湯、
これは最高味でした、ミルクテイーもよいでしょうね。

f0070743_2020489.jpg


武夷正山小種紅茶ーーラプサンスーチョンの茶葉です。


f0070743_20205597.jpg


f0070743_16173632.jpg

手摘みダージリンです。

両方のお茶を飲みましたが、
さすがサプサンスーチョンです、
本当に印象はよいです。素晴らしいです、
その味は飲んで事ない人にいっても伝えないと思います。
是非一度本当のラプサンスーチョンを飲んでみてください、
その味が一生のわすれないものです。
[PR]
by 10tea | 2006-08-01 20:22 | 紅茶・物語 | Comments(0)

馨華献上銘茶


by 馨華献上銘茶
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30